ビビりの元野犬をトレーニングする際に、水族館時代に野生動物をトレーニングしていた経験が役立っています。

それは一言で言えば、「嫌な刺激に馴らせる」というスキルです。

最も嫌な刺激となるのは、「ヒト」という存在です。 動物にとって、ヒトは何をされるか分からない恐怖の対象であり、ヒトが「見る」「近づく」「触る」といった行動は、すべてストレスになり得ます。 こうした刺激に対しては、動物ごとの限界点を意識し、慎重に、そして繊細にステップを進める必要があります。

一度でもこの限界点(限界点A)を超えてしまうと、動物の恐怖心が再燃し、これまで積み上げた何日分ものトレーニングが無駄になることがあります。 さらに悪いケースでは、恐怖に駆られた動物がヒトを攻撃するようになる(限界点B)こともあります。 そして一度、攻撃という行動で「恐怖から逃れる」経験をしてしまうと、それは強化され、同様の状況で再び攻撃行動が起こりやすくなります。 つまり、限界点AとBの距離が縮まり、次はより早く攻撃が出てしまうリスクが高まるということです。

野生動物では、このAとBの距離が短く、こちらが大けがをするリスクもあるため、限界点Aを超えないよう慎重に進めることが自然と求められます。

一方で、イヌの場合は、限界点AとBの間にある程度の“幅”があるのが特徴です。 これは「イヌの我慢強さ」とも言えます。 しかしその“我慢”に、私たちがつい甘えてしまい、Aという限界点を存在しないものとして扱ったりすることがあります。

たとえば「洪水法」と呼ばれるアプローチです。

元野犬に「触られること」に慣れてもらうトレーニング。 慎重に行うなら、犬が自ら鼻先を寄せて人に触れてくるよう誘導していきます。 しかしもう一つの方法として、リードで制御した状態で、人が積極的に触って慣らしていくという手法もあります。

スピード感という意味では、後者のほうが早く進むこともあるかもしれません。 ですが、後者の方法は限界点B、すなわち「噛む」という行動に至るリスクがあります。

その結果、「噛傷犬」が生まれる可能性があります。